お花見 の今昔
お花見の始まりは桜ではありませんでした。お花見=宴会になったのも、ここ500年ほど前からです。では、日本人はいつから桜でお花見をするようになり、桜の木の下で宴会を始めるようになったのでしょう。日本のお花見の今と昔を比べてみました。
▼目次
1.奈良時代の お花見 は「桜」ではなかった
2.安土桃山時代の花見は宴会型になった
3.今年の花見は、桜より
1.奈良時代の お花見 は「桜」ではなかった
春の匂いが漂い始めると、日本人は「桜の開花」が気になりだします。しかし、日本人は昔からお花見に桜を選んできた訳ではありません。少なくとも、奈良時代でお花見といえば「梅」でした。それが、遣唐使が廃止された頃からあらゆる日本の文化が見直され、その頃から、日本人は大陸から持ち込まれた「梅」よりも、古来より日本に生えていた「桜」を好むようになったと言われています。
2.安土桃山時代の花見は宴会型になった
お花見が宴会型になったのは、豊臣秀吉の時代の「吉野の花見」からと言われています。この花見では5000人が召還され、連日、茶会や歌の会、能の会が開かれたそうです。そして、その4年後の「醍醐の花見」から、甘味が食べられるようになり、全国から名産品や甘物が集められるようになったそうです。ちなみに、花見団子と言えば、桜色、白、緑です。桜色は春の桜、白は冬の雪、緑は夏のよもぎを示唆し、「秋」がないから「飽きがこない」と言われています。
3.今年の花見は、桜より
桜が咲くから春なのか。春だから桜は咲くのか。どちらが正しいかは分かりません。しかし、春に限らず人はいつも咲いています。今日も誰かは、きっと誰かの人生で咲いています。春だから、花見て一杯。それも趣ある話です。しかし、今年はちょっと趣向を変えてみませんか。誰かの人生に咲く、誰かを見て乾杯。と、ひたすら人の良い部分、美しい部分、そして華の部分を見つけて愛でてみませんか。
花見て、人魅て、満たされて。
短いけれど、何度でもやってくる春を今年も楽しみましょう。
この記事を動画で深掘り
コンパス視聴覚室「お花見の今昔」
日本の春の風物詩「お花見」。2020年はコロナで花見も自粛となり、おそらく日本史上最も桜に寂しい思いをさせた一年となってしまいましたが、花見はいつ誕生し、どのように日本人に浸透していったのでしょう。
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おまけ
文字で楽しむ 動画「お花見の今昔」
皆さんは日本という国をどう感じていますか。私はとてもエモーショナルな国だと思っています。なぜなら、冬の終わりに、風が一つ吹いたらニュースになります。その名も、春一番。とても素敵な響きです。
そして、春が到来して桜が咲いたら、それはもはや全国トップニュースです。花が咲いただけでニュースになる国。そんな国って、他にあるんでしょうか。ですから、私はそんな国に生まれたことを誇りに思っていますし、だかこそ、この祖国についてもっと知っておくべきだと感じ、今と昔を比較するこの企画を続けています。
というわけで、早速参りましょう。
今回はお花見の今昔。
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まず、お花見がいつ始まったのか、という話なんですが、お花見が始まったのは奈良時代です。しかし、当時の花見は桜ではなく、梅でした。奈良時代の日本と中国は、遣唐使を介して交易は盛んでした。とてもたくさんの中国文化や物品が日本に伝わっています。そして、その中の一つにあったものが、そう「梅」です。その香り立つ梅の花は尊重され、当時は桜よりも高い人気を誇りました。
どれくらい人気に差があったのかというと、万葉集に読まれた桜の歌は43首、一方、梅を詠んだ歌は110首。およそ3倍弱ほど人気に開きがあったんですね。
では、お花見はどうやって始まったのしょう。それはですね、当時の貴族は優雅に歌を詠む風習がありました。そして、中国からやってきた梅を見ながら歌を詠む会がしばしば開かれたのですが、それが現在の花見の原型です。したがって、初期の花見には団子も酒もなく、ただ梅の木の下で歌を詠む、それが花見だったというわけです。
では、奈良時代の桜はどんな扱いだったのかといえば、実は信仰の対象として、そして神聖な花として位置付けられていました。それは桜の語源からも確信できます。
といっても、桜の語源については諸説あるので、ここでは代表的なものを二つ紹介しますね。
一つ目が、さくらの「さ」は「田の神様」を意味し、「くら」は神様の居場所である「御座」を意味するという説です。桜が咲くことは神様が山から下りてきたという証し、つまり、田の神様が桜に宿り、花を咲かせるという説です。
二つ目は、「木花之佐久夜毘売」【このはなさくやひめ】に由来するという説です。「木花之佐久夜毘売」【このはなさくやひめ】は日本最古の歴史書「古事記」にも出てくる女の神様で、富士山の神様とも言われている方です。その頃の富士山は噴火を繰り返しており、その「木花之佐久夜毘売」【このはなさくやひめ】が火口に身を投じることでその噴火を収めたとの伝承が残っています。
とにかく「木花之佐久夜毘売」【このはなさくやひめ】はとても美人でしたが寿命は短く、桜はそんな彼女のイメージと一致していました。だから桜は「木花之佐久夜毘売」【このはなさくやひめ】を語源にしていると、そんな風にも言われているんですね。
いずれにせよ、桜という言葉がはっきりと出てくるのは、奈良時代に編纂された万葉集からです。でもさっき言ったように、ワード登場回数は桜43に対し、梅110。梅の圧勝です。
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では、今のように梅より桜の方が人気になったのはいつなのかというと、894年です。白紙に戻すまるまるまる。そう、894年の遣唐使廃止により日本独自の文化が発展していって、梅より桜が注目されるようになったんです。実際平安初期に作成された古今和歌集では、梅を詠んだ歌は18に対し、桜は70首と一気に人気が逆転しています。そして、この頃から「花」といえば「桜」を指すようになったと、そのように言われているわけですが、では、そんな桜が対象となった花見を日本で最初に行った人は誰なんでしょう。
そうなんです。それは、記録に残っている限りでは天皇です。第52代の嵯峨天皇です。日本後記によると812年、神泉苑にて「花宴の節(せち)」を行ったとあります。そして831年からは花見が天皇主催の定例行事となり、その様子は源氏物語にも窺い知ることができます。
ただ、そうは言っても当時の時代で花見を行っていたのは貴族だけでした。それが一般階級も開くようになったのは鎌倉時代以降です。その様子を示す資料に吉田兼好の徒然草があります。
そこには、貴族が桜を上品に愛でるのに対し、上京したばかりの田舎者は、桜の下で酒を飲みながら連歌を楽しみ、どんちゃん騒ぎのようなふるまいだったと、そんな風に対照的に書かれています。
それから時代は進んでいき、安土桃山時代になると花見はまさに盛大に行われるようになります。特に秀吉が1594年に開催した吉野の花見は5日間に渡って行われ、計5000人が召喚。そして面白いのが、各武将はコスプレをして大騒ぎしたと言われているから、だんだん花見=大宴会、という今のお花見に近づいてきました。
そしてその四年後の1598年、和菓子界における歴史的にも重要なお花見が行われます。それが「醍醐の花見」です。醍醐の花見では全国から名産品や甘物が集められ、それがきっかけとなって、花見では甘いものが欠かせないようになったんです。
ちなみに、花見団子と言えば、桜色、白、緑です。桜色は春の桜、白は冬の雪、緑は夏のよもぎを示唆しています。あれ、秋がないですね。そうなんです。「秋」がないから「飽きがこない」、それが花見団子の由来です。
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というわけで、いかがでしたでしょう。お花見の今昔。春になるととかく花見をいつやろうかと考えがちですが、でも、私は実は、花見は年中やるべきだと、そう思っているんです。
というのも、桜は春にしか咲きませんが、人は年中咲いています。誰もが、必ず誰かの心で咲いています。ですからね、花見て一杯、それも趣のある話ですが、時には「誰かの人生に咲く、誰かを見て乾杯」、そんな風に、飲み会の理由をこじつけるのもありなんじゃないでしょうか。
では、今回はこれでおしまいです。また元気にお目にかかります。花見て、人魅て、満たされて。よい春をお迎えください。さようなら。ごきげんよう。