お米 の今昔
昔の日本人はお米を炊きませんでした。蒸して食べていました。それも、正確にはお米ではなく、玄米を蒸して食べていました。しかし、やがて精米した白米を食べるようになり、とある病気が江戸を中心に流行します。時代により食べ方が違ったお米の、今と昔を比べてみました。
▼目次
1.腹持ちのいい玄米
2.銀シャリ
3.末広がり
1.腹持ちのいい玄米
その昔、日本では玄米を食べていました。しかし、「炊く」のではなく「蒸して」食べていました。強飯(こわいい)と呼ばれるもので、おこわの原型です。とても堅かったようですが、腹持ちは非常に良く、そのため当時は一日2食でした。
鎌倉時代ごろに、鉄の鍋が普及します。この頃から米を「炊く」ようになり、玄米を精米して、「白米」や「半突き米」にして炊く「姫飯(ひめいい」)」が生まれます。「柔らかくて消化にいい」と、まずは上流階級に広まります。
2.銀シャリ
戦国時代の武士は、普段は玄米を一日5合ほど食べていたようです。ただ、「消化が良くてすぐにエネルギーになる」と、合戦の時には「白米の姫飯」を食べていたようです。
江戸時代になると、白米は江戸で広く普及します。玄米に比べ消化が良かったことから、この頃より一日3食の習慣が始まります。しかしそれと同時に、「江戸患い」という病気も流行します。今で言う「脚気(かっけ)」です。玄米に含まれるビタミンが摂取できなくなり、ビタミン欠乏症に陥った結果でした。
それでも白米は全国に普及していくのですが、太平洋戦争が始まると事態は一変します。食料不足が起こり、政府から玄米食が推奨・強制され始めます。
一方で、そんな時代には、白米は「銀シャリ」と呼ばれ、「ご馳走」「高級品」として認識されていました。
3.末広がり
現代では、玄米を嫌う人は多数いますが、健康志向の高まりから、あえて玄米食を選ぶ人も多くいます。米寿の由来もそうですが、「米」という漢字には「八」が二つ入っています。末広がりを意味する漢字が二つも、です。素晴らしい明日をつくるためにも、TPPも含め、わたし達はもっと「米」について考えるべきなのかもしれません。