写真 の今昔
なぜ昔の写真に写っている人は、気難しい顔をしているのか知っていますか。そもそも、昔は食事会や飲み会で写真を撮ることなどもっての他だったようなのですが、なぜだかご存知ですか。今と昔では、写真に対する考えは大きく変わりました。そこで今回は、写真の今と昔の在り方を探ってみました。
▼目次
1.世界初の写真
2.世界初の飲み会写真
3.写真は魂を抜く
1.世界初の写真
世界初の写真は、19世紀初頭にフランス人のニセフォール・ニエプスが撮影した「用意された食卓」(原版が現存する世界最古の写真は、同じく彼の「馬引く男」)です。
引用:ウィキペディア
ニセフォール・ニエプス「用意された食卓」
一方、世界初のねつ造写真は、19世紀中頃、イポリット・バヤールが作りました。彼はルイ・ダゲールというライバルがフランス科学アカデミーに認められると、その背景にあった政治的力を懐疑。自分の溺死死体を装った自殺写真をねつ造し、「こうなったのはダゲールとアカデミーのせいだ!」と抗議します。
引用:http://www.tamabi.ac.jp/MC/mc1/dar/dt/photo/a/008-1.html
イポリット・バヤール「溺死した男」
2.世界初の飲み会写真
今でこそ、飲み会を開けば必ず誰かが写真を撮りますが、昔はそんな発想などありませんでした。また、撮影時間が今と比べてとても長かったため(だから笑顔など維持できるわけもなく)、誰もが気難しい表情をしています。したがって、19世紀半ばに撮影された世界初の飲み会写真はとても画期的でした。写真家のデイヴィッド・オクタヴィアス・ヒルが仲間と楽しんでいるシーンなのですが、皆リラックスして笑顔を浮かべているのです。
3.写真は魂を抜く
昔の日本では「写真は魂を抜く」と恐れられていましたが、今では多くの人がそれを”迷信だ”と思っています。しかし、私はその意見には反対です。現代こそ、写真は魂を抜いています。というのも、今は「いただきます」の前に写真、危険だろうと写真、他人への迷惑を考えず写真。いつでもどこでも写真です。私には、写真に取り憑かれ、魂を抜かれているようにしか見えません。
確かに、美しい思い出は記録しておきたいものです。ただ、やはりマナーは守るべきです。撮影者が魂を抜かれては、魂のこもった写真など撮れません。写真を撮りたい。そんな衝動に駆られても、「いま撮るべきか」と立ち止まれる判断力は持ち続けたいものです。