フリーペーパー「コンパス」【連載小説】 幸せのコンパス(第3話)

  1. コラム

フリーペーパー「コンパス」【連載小説】 幸せのコンパス(第3話)

日向穂志は、北を指さない不思議なコンパスを持っています。では、そのコンパスはどこを指すのか。それは、掌に乗せた人が願っているものの在り処です。日向は、そんなコンパスを使って、困っている人を導いていきます。
フリーペーパー「コンパス」でお馴染みの連載小説「幸せのコンパス」をお楽しみください。

 

——登場人物—————

日向穂志(ひなたほし):僕。主人公。北ではなく、幸せの方角をさすコンパスを持つ。

日向月子(ひなたつきこ):主人公の妻。

長田将大(ながたまさひろ):ながた寿司の店主。保志・月子と同級生。40歳。

後藤 一樹(ごとう かずき):巨大企業「後藤建設」の長男。通称・ゴッド。

濱 源治(はま げんじ):気品漂う老紳士。

——————————–

 
幸せのコンパス(第3話)


「僕の頭に傷がある?いったい何の話なんだ?」
僕が驚いて訊ねると、ゴッドはそんな僕に驚いた。
「自分のことだろ?本気で言っているのか?」
「本気も何も、知らないものは知らない」
僕がそう答えると、ゴッドは〝信じられない〟という表情をして言った。
「稲妻みたいに大きな傷跡だぞ。また忘れてしまったのか?」
「また?」と僕がいぶかしむと、ゴッドは急に話題を変えた。
「まあ、忘れたならどうでもいいや。それより、ちょっと付き合えよ。どうせ暇だろ?」
それで僕は頭に来た。
「どうでもいいことないだろう。頭の傷だぞ?それに、そもそも僕は暇じゃない。仕事がある」
「そうか。じゃあ急がないとな」
「どうしてそうなるんだ」
「まぁそう言うな。十年ぶりなんだ。付き合えよ」
そうやって、結局、僕はゴッドに付き合わされた。昔からそうだった。彼はどんなことでも自分の思い通りに事を運び、欲しい物は何でも手に入れた。だから、彼が僕のコンパスに頼ったことはない。多分、これからもそうだと思う。神は何でも手に入れる。そして、ゴッドはこれからも、きっとゴッドのままだろう。
 
連れて行かれたのは「カフェ・ソーダ」というお店だった。ゴッドの後輩が経営していて、その彼が「曽田」という苗字だったから、ゴッドが「ソーダ」と名付けたらしい。そんな彼の店は、木の素材を活かした雰囲気がとてもお洒落で、ほんのり漂う木の香りが心地よかった。カフェの割には広く、色々なところに観葉植物や流木があった。ただ、曽田は木は好きなのだろうが、ソーダには関心がないようだった。壁には今っぽく加工された写真付きメニューがたくさん張り出されていたが、店名でもあるソーダはなかった。
僕らがカウンターに腰掛けると、彼はカウンターにいた若い先客を紹介してきた。
「うちの常連です。二年前からほぼ毎日、ここのカツ丼を食べに来てくれるんです」
「へぇ」とゴッドが頷くと、若者は立ち上がり、僕たちに挨拶をした。
「初めまして、小柳です。愛知県出身の信濃大学二年、二十歳です」
ゴッドはおどけて言った。
「愛知出身でも、みそカツ以外のカツを食べるんだな」
「はい」小柳は学生らしく、はつらつと返事をした。「でも、実はぼく、どちらかと言えば魚の方が好きなんです。特にこっちに移住してからは、信州サーモンが一番好きです」
「信州サーモン?」
「信州ブランドの魚です。ニジマスとブラウントラウトを交配させた、サーモンのような魚です」
「要するに、サーモンの偽物ね」
「いいえ。れっきとしたサーモンです」
その口調からは強い熱意が感じられ、ゴッドは圧倒されたのか、サーモン談義を中止して話を戻した。「それにしても、ここのカツ丼がそんなに旨いとは知らなかった」
「食べたことないんですか?本当に美味しいですよ」小柳は目を輝かせ、言った。「でも、美味しいだけじゃないんです。ここのカツ丼はとても縁起がいいんです」
「縁起がいい?」
「はい」小柳は元気よく頷いた。「二年前の受験の前日、ここでカツ丼を食べながら勉強のおさらいをしていたんです。すると、その時の内容がびっくりするほど本番の試験で出題されて……おかげで見事合格できました」
「さすが日本の勝負飯」
「でも、まだあるんです」小柳は止まらなかった。「ぼく、入学してすぐ、ある女の子に一目惚れしたんです。そして、その子に告白する直前にもここのカツ丼を食べたんですけど、やっぱり上手くいきました」
「そうなると、今日もいいことがありそうだ」
「そうですね」と、小柳は首を縦に振ったが、その返事はわずかに暗かった。「今日、母親がぼくに会いに来るんです。そして、ここで一緒に食事をすることになっているんですが、それが何事もなく終わればいいなと、今はそう思っています」
「母親と飯を食うだけだろ?」
「ええ。でも、色々とありまして……あっ、来た」
その言葉で、僕たちは一斉に振り返った。そして、店の扉へ目をやった。そこには僕らと同じくらいの年齢の、上品な女性の姿があった。随分と若いお母さんだな。と、僕は心の中で驚いた。けど、一番驚いたのは、小柳の第一声だった。彼は母親に近寄ると、お辞儀をしながらこう言った。「ご無沙汰しています、佳子さん」
それを聞いたゴッドは、ため息まじりに言葉を漏らした。
「今の二十歳はすごいな。俺には自分の母親を名前で呼ぶなんて、到底できない芸当だけどな」
それは僕も同感だった。お互いを名前で呼び合う親子もいる。そんな話をテレビで見たことはあったが、しかし実際にそれを目の当たりにすると、さすがにすんなりとは受け入れられなかった。
「これが〝最近の若い奴は〟ってやつか」と、ゴッドが苦笑いして言うと、曽田が静かに否定した。
「それは違いますよ、ゴッドさん」そして、小さな声で言った。「あの二人は親子ですけど、血は繋がっていないんです」
ゴッドが返事をしないでいると、曽田は続けた。
「どうやったら”お母さん”と呼べるか。それが小柳の悩みなんです」
 
ゴッドが無言だったこともあって、僕はひたすら黙って二人を眺めていた。彼らは僕たちから少し離れたテーブルに、向かい合って座っていた。ここからでは会話の全部を聞き取ることはできなかったけど、そのおおよそは想像できた。母は気を遣うあまり、何でもないことをとりとめもなく話し、息子は特別な会話をしようとするも、ネタが見つからなくて喋れない。見ている限りではそんな感じで、久しぶりの親子の会話は明らかに弾んでいなかった。
そんな状況が十五分ほど続き、いい加減、僕もやきもきしてきた頃だった。ようやくゴッドが口を開いた。
「なあ、曽田。ちょっと小柳をこっちへ連れてこれないか」
「えっ」と、曽田が言葉に詰まると、ゴッドは間髪入れず言った。
「返事はハイかイエスだろ?」
「でも……」
「でも?とにかく連れてこい。な?」
こうなると誰にも手が付けられない。それは曽田もわかっていて、彼はしぶしぶ二人のテーブルへ向うと、小柳だけを連れてきた。
ゴッドは目の前に小柳を立たせると「呼び出して悪いな」と言い、それから僕に向かって言った。
「なあ日向。小柳にコンパスを貸してやれないか?」
「いいよ、もちろん」と、僕は二つ返事で了承した。そして、ポケットからコンパスを取り出し、小柳の掌に乗せて、言った。「いいかい?いま、君が叶えたい一番の願いは何?それを心の中でイメージして」
小柳は非常に物わかりが良い若者だった。一瞬、不安まじりの不思議そうな顔はしたが、すぐに目をつぶると背筋を伸ばし、大きく息を吸い込むとゆっくり吐き出した。
とたんにコンパスの針は回り出した。コマのように勢い良く回り、しかし徐々にスピードを緩めると、やがてカウンターの奥の壁、メニューが張り出されている所を指して止まった。
「何なんだろう」
僕はただ首を傾げるだけだったが、ゴッドにはそのコンパスのメッセージがわかったようだった。
「なるほど」彼は頷くと、小柳に言った。「いいか、小柳。席に戻ったら、お母さんにまずこう言うんだ。一緒に食べて欲しいものがある、と。そして、カツ丼の奇跡を喋りまくれ。いいか、とにかく喋りまくれ。その間に、お前が一番食べたいと思っているものを、俺がつくってやるから。わかったな」
僕にはまるでわからなかったが、小柳は力強く頷いた。「はい」
「そうか。わかったなら戻れ。早く」
ゴッドはそう言うと、小柳を押し返した。そして、「曽田、厨房を借りるぞ」と一方的に言うと、勝手にカウンターの中に入って料理を始めた。
 
出来上がったその料理は、二つとも同じ海鮮丼だった。僕はてっきり奇抜なカツ丼が出てくると思っていたから、予想が外れて少し残念だった。
曽田も残念に思ったはずだ。でも、彼はそんな感情はおくびにも出さず、ゴッドに言われた通り、黙って二つの丼ぶりをテーブルへ運んだ。
僕はゴッドに訊ねた。
「なぜカツ丼ではなく海鮮丼なんだ?」
すると、ゴッドは不思議そうな顔をした。「お前は何を見ていたんだ。あれは信州サーモンといくらの……」
と、ゴッドがそこまで言ったとき、突然、小柳がこちらに向かって元気に言った。
「ゴッドさん!ありがとうございます!ぼく、頑張ります!」
その声に、ゴッドは紳士的に手で応えた。「おう」
いったい何がどうなっているのだろう。僕が小さく混乱していると、ゴッドは言った。
「お前は鈍いな。信州サーモンといくら。これって何だ?」
しかし、それでも僕がわからないでいると、ゴッドはメニューの張り出された壁を指差して、言った。
「お前のコンパスが指したのは、あれだよ。あれ」
それでようやく意味がわかった。ゴッドの指先は、親子丼の写真を指していた。
「信州サーモンといくら。これって、腹違いでも親子なんだろ?」
ゴッドはそう言うと、優しい笑みを浮かべながら立ち上がった。
「どこに行くんだよ」
僕はゴッドに訊ねたが、彼は何の返事もせず店を出た。僕は慌てて追いかけた。そして、彼の肩をつかんで振り向かせた。「ちょっと待てよ」
すると、ゴッドは冬の午後の日差しのような柔らかい顔をして、言った。
「あいつ、”お母さん”って言えるかな」その声のぬくもりは母の愛を思い出させるようで、彼の背後から降り注ぐお日様は、まるで天使たちが踊っているかのようだった。やっぱりゴッドはゴッドだな。そう思った……が、それは束の間のことだった。ゴッドはやっぱりゴッドだった。
「そんなことより、本当はお前に頼みがあって、ゆっくり話がしたかったから、あの店に行ったんだ」
突然そんなことを言われて、「は?」と僕があっけにとられていると、ゴッドは続けた。
「お前のコンパス、俺に貸してくれないか。実は、俺が帰国したのは、それが理由なんだ」
 
ゴッドといると、僕はいつでも混乱する。

 
このエントリーをはてなブックマークに追加

 
タイトルをクリックすると、関連記事をお楽しみいただけます>
前話 幸せのコンパス 第2話
次話 幸せのコンパス 第4話
 
① 幸せのコンパス 第1話

 

 
■フリーペーパー「コンパス」とは
松本市・安曇野市・塩尻市・山形村を配布エリアとした「中信版」と、長野市を配布エリアとした「長野版」の2種類があります。
フリーペーパー「コンパス」では、ウェブ版に掲載されていない、暮らしに役立つ情報もお楽しみいただけます。

 
■ フリーペーパー「コンパス」設置場所の検索は、こちらをクリック

 
■定期配本のお知らせ
コンパスは発刊が 3月 / 6月 / 9月 / 12月の末日、季刊誌です。上記にて無料で配布しております。しかし、場所によっては入手しづらいこともあり、コンパスは多数の読者様のご要望にお応えし、定期配本を始めました。配送料 2,000円/年 にて4回お届けします。
 
定期配本のお申し込みは、コンパス編集部 0263-87-1798 までお電話いただくかお問合せからご連絡ください。

 

骨壺

「土に還る骨壺」気になる方は、こちらをクリック

 

 

本、出しました。

当サイトで最も高い閲覧数を誇る「今昔」。
それをさらに掘り下げ、書き下ろしました。

今すぐチェック

関連記事

槍ヶ岳開山 播隆上人

松本駅前の播隆上人の銅像は、近年市民の間でも親しまれています。 槍ヶ岳開山 の岳人として日本山岳史にその名を残す播隆。彼はなぜ槍ヶ岳に固執したのでしょう。宗教的動機だけだ…

相澤病院 相澤孝夫先生の「あったまる話」

オリンピック金メダリスト・小平奈緒選手を暖かく迎え入れ、見守り続けたことで改めて日本中から注目された相澤病院の相澤孝夫先生。先生は、一体どのような人生を歩んできたのでしょ…