【心の相続】尊厳死か延命治療か。それを判断すべきは誰?
「尊厳死」か「延命治療」か。そんな重大な判断、自分の親になかなかできるものではありません。当然そんな判断を「今すぐ、ここで」と迫られても、ほとんどの方は悩みに悩むことでしょう。
しかし、そうしたことは現実に起きています。誰かがいずれ、苦渋の選択を迫られるのです。だからこそ、最も心に負担のかかることを、あらかじめ考えておきませんか?
蔵エンタープライズの板倉さんにお話を伺ってきました。
心の相続(コンパス19号掲載)
「わたしはお母さんに、最後の最期で親不孝をしてしまった」
とあるお葬式を終えた時のことです。喪主のAさんは私を呼び止めると、そんな後悔を口にしました。そして、こう続けました。
「命の選択に迫られた際、判断を誤った気がするのです」。
延命治療か尊厳死か。
おそらくこれは永遠のテーマでしょう。ただ、Aさんは母に一日でも長く生きて欲しくて、延命治療を望みました。とにかくそれだけでした。しかし、治療を続けていくうちにAさんの心情は変化します。母親が治療に苦しんでいるように見え始めたからです。ひょっとして、延命治療が母を苦しめているのだろうか。Aさんは本当に悩んだそうです。
だから延命治療には反対だ。
とは私は決して言いません。私が言いたいのは延命治療の是非ではありません。なぜ家族が元気なうちに、延命治療か尊厳死かを話し合わなかったのか、ということです。きっとAさんのことです。尊厳死を選んでも必ず後悔したはずです。とても母親想いの方だったからです。それでも、Aさんが母の気持ちを知っていたらどうでしょう。きっとその選択がいずれであれ、Aさんは母の意思を尊重し、後悔などしなかったことでしょう。
相続というと、多くの方は財産のことばかり考えます。しかし、今回のように親の体を相続するケースもあるのです。いえ、そもそも財産とは何でしょう。親より大切なものなどあるのでしょうか。親の体や心こそ、かけがえのない財産ではないでしょうか。
親の本心を知らずに、子として親を見送れますか。あるいは、親が自分の本心を伝えず、自分の死後に子が苦しむのは仕方なしとしますか。
どうしたら円滑な相続ができるのか。
その答えはたった一つです。心の相続です。親が子に想うこと、それさえ家族で共有していれば、お金のことでも争いは起きません。
重いテーマに聞こえますか?でも、家族会議は意外と良い思い出になるそうです。誰か一人でも病気になれば、全員は集まれなくなります。安心の春を迎えるためにも、是非話し合う時間を設けてみてください。
- 取材協力 -
蔵エンタープライズ
代表
板倉 富男 氏
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