「山の日」の “なぜ” を、超党派「山の日」制定議員連盟の事務局長・務台俊介衆議院議員に質問してきました
「ずっとここに居たい。去りがたい」
上高地の魅力をそう語るのは、務台俊介衆議院議員。「山の日」の祝日化に尽力した、超党派「山の日」制定議員連盟の事務局長です。来年より始まる、国民の祝日「山の日」。山の日制定の原動力となった務台議員に、「山の日なぜ」のいくつかを伺ってきました。
改めて、山の日についてお話いただけますか
山は古来から、山岳信仰や森林資源として、日本人と深くつながってきました。近代では幅広い年代でも健康維持のために楽しめるスポーツとしての登山や山岳観光、山林の水が育む農業、そして最近は火山などの災害もあり、私たちもその恩恵とのかかわりを意識しない日はありません。そこで「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」として、8月11日を祝日化する法案が2014年に成立。「山の日」として、来年の2016年から国民の祝日になります。これは日本で16番目の祝日で、「山」というものを祝日にすることは世界でも大変珍しい例です。
どのような経緯で、「山の日」は祝日化に至ったのでしょう
海の日が十年ほど前に成立したこともあって、山岳関係者の間では「山の日をつくりたい」という希望が募っておりました。2010年には山岳関係者による山の日制定協議会が、2013年には国会議員による超党派の議員連盟が設立され、衆議院議員衛藤征士郎会長の下私が事務局を仰せつかり、2014年に法律が成立しました。
議員連盟が結成されてから一年あまりでの法案成立は電光石火の業でした。「山の日」制定に対する想いを是非、教えてください
槍ヶ岳山荘の穂苅康治社長から「槍ヶ岳とともに」という本を頂戴しました。ここには、槍ヶ岳に魅せられた山小屋経営者三代に亘る苦闘の歴史が綴られています。中でも私が興味を持ったのは、穂苅家が非常な熱意を持って江戸時代の槍ヶ岳開祖である播隆上人の履歴を紐解いた経緯です。
社長の祖父に当たる三寿雄氏により編まれた「播隆」という本の中には、「旧野沢村(安曇野市三郷)の庄屋、務台与一衛門影邦が、天保6年(1835年)、播隆が槍ヶ岳参籠中に、4日がかりで槍ヶ岳に登山した山行記『槍ヶ岳道法』が出てきた」とのくだりがあります。この与一衛門影邦は、実は私の6代前の先祖です。180年前の先祖の営みに現代の本の中で接することは何という感動であるかと、再認識した次第です。こういう先祖の足跡を知り、この自然を更に付加価値を付け、後世により良い形で引き継がなければならないと決意を固めた経緯があります。
なぜ、8月11日が「山の日」となったのでしょう
色々な意見があり、いくつもの議論を重ねてきましたが、「八」が山の形で「11」が木立の形であること、8月11日はお盆前なので家族みんなで山が楽しめること、その他様々な理由により、8月11日を山の日といたしました。
「山の日」は、信州との関わりが深いと聞いたのですが
信州は日本有数の山岳地域を抱えています。また、槍ヶ岳を開いた播隆上人、近代登山の始祖ウエストンなど、山にまつわる人々は多くいました。そんな信州上高地で「山の日」の事前合宿を2013年の9月に行いました。議連のメンバーや山小屋、山岳観光、行政関係者が一同に集まり意見交換会を開催し、山岳のベストシーズンである8月に祝日を設定することを確認し、皆で団結し是非とも「山の日」をつくろうと意思統一したのが信州の上高地なのです。さらに、「山の日」第1回の記念イベントは、来年2016年8月11日に、この上高地で行われることとなりました。それに併せて地元での山岳イベントも行われるようです。
地域再生への効果も期待できると聞いています
「山の日」成立を受け、旅行業界や交通機関は盛り上がっています。登山用時計メーカーや山登り用品メーカーも活気づいています。私はこの祝日によって、親、子、孫の三世代で山に親しみ、山を愛する多くの日本人が増えることを切に希望しています。毎年、この時期には山間部に日本全体の関心があつまることとなります。地方創生の起爆剤として、この祝日が地域に大きな経済的効果をもたらすことを希望しています。
― 取材協力 ―
超党派「山の日」制定議員連盟
事務局長 務台 俊介 氏