フリーペーパー「コンパス」【連載小説】 幸せのコンパス(第5話)

  1. コラム

フリーペーパー「コンパス」【連載小説】 幸せのコンパス(第5話)

日向穂志は、北を指さない不思議なコンパスを持っています。では、そのコンパスはどこを指すのか。それは、掌に乗せた人が願っているものの在り処です。日向は、そんなコンパスを使って、困っている人を導いていきます。
フリーペーパー「コンパス」でお馴染みの連載小説「幸せのコンパス」をお楽しみください。

 

——登場人物—————

日向 穂志(ひなた ほし):僕。主人公。北ではなく、幸せの方角をさすコンパスを持つ。

日向 月子(ひなた つきこ):主人公の妻。

長田 将大(ながた まさひろ):ながた寿司の店主。保志・月子と同級生。40歳。

後藤 一樹(ごとう かずき):巨大企業「後藤建設」の長男。通称・ゴッド。

堀内 玲一(ほりうち れいいち):幼馴染

堀内 桃子(ほりうち ももこ):幼馴染。玲一の妻

——————————–

 
幸せのコンパス(第5話)


僕は20歳の誕生日に事故にあった。そして全部の記憶を失った。でも普通の記憶喪失とは少し違った。僕の場合は知識喪失だった。自分の名前はもちろん、日本語すら理解できなくなっていた。おまけにおにぎりを見ても食べ物だと認識できず、箸の使い方などは論外だった。本当にまっさらになっていて、だから僕は20歳で一から日本人、いや人間を勉強することになった。あの頃の僕はまるで、大人の姿をした赤ちゃんだった。そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのが、今の妻で同じ歳の幼馴染・月子だった。彼女は人間一年生の僕に色々と教えてくれた。日本のルールや日本のマナー、それに日本語。おかげで一度はリセットされた人生だったが、今は40歳の大人として問題なく生活している。結婚してくれてありがとう。口にこそ出さないけど、僕は本当に彼女に感謝している。
同級生の堀内玲一・桃子夫妻も、僕ら夫婦のように同じ年の幼馴染だ。ただ、二人は僕らと違って何でも思ったことを口にした。行動した。それは昔からのことだった。例えば二人は幼稚園からの恋人だったが、実に園児から今に至るまで、外出時には必ず手を繋いだ。小学三年生の時などには、結婚式場のモデルに自分たちで応募した。そして二人は教会で腕を組み、玲一はタキシード、桃子はウェディングドレス姿で子供ながらパンフレットの表紙を飾った。誰の目にもオシドリ夫婦だった。しかし、玲一いわく今は離婚危機にあるのだという。「酔って結婚指輪を失くしてね」。玲一は心から反省しているようにそう言ったが、僕にはどうしてそれだけで離婚話に発展するのか全く理解できなかった。
「とにかく頼むよ。何が何でも指輪を見つけたいんだ」
僕は玲一にそうせがまれて、彼の自宅にお邪魔した。
 
玲一の自宅はとにかく広かった。同じ敷地内に二つの建物が建っていて、東側が実家、西側が玲一たち息子夫婦の家だった。そして、さすがガーデニング会社の社長宅とあって、庭には樹木や草花が美しく並んでいた。玲一は僕の顔を見るなり言った。
「例の物は?」
「持ってきたよ、もちろん。でも、本当にどこで外したのか覚えてないのか」
僕がそう訊ねると、玲一は落ち込んだ口調で言った。
「飲みに行った店は、隅々まで自分の目で探した。帰り道は自分の足で5往復した。でも見つからなかった。だからこうしてお前にお願いしている」
そうだよな。と僕は妙に納得しながら、ポケットから”例の物”を取り出した。探し物のありかを指し示すコンパスだ。玲一はそのコンパスに目が止まると、これが例のコンパスか、と訊いてきた。そうだ、と僕が答えると、玲一は右手でそれを受け取り、左の掌にちょこんと乗せた。するとコンパスの針は途端に回り始め、すぐに庭の方向を指してピタリと止まった。
「いくら何でも、俺が植物の種と結婚指輪を間違えるとは思えないが」と玲一はそう言った。
「もちろん。でも、とりあえず針の方向を探してみないか?」と僕が提案すると「そうだな」と玲一は短い返事をした。そして僕たちは靴を履いて庭に出た。外の空気は緑に囲まれているせいか爽やかだった。それに、これから何かいいことが起こりそうな、そんな予感の匂いもした。
 
「針を指しているのはここだな」
玲一はそう言うと、枝垂れが上品な一本の樹の前で立ち止まった。
「この木は?」と僕が訊ねると、玲一は「桃の木だ」と答えた。
「桃の木か」僕がそう繰り返すと、玲一は掘ればいいのか?と訊ねてきた。だから「そうだな、掘ろう」と僕は答えた。
玲一はすぐにスコップを取りに行った。そして年季の入ったスコップを一つ持ってくると、慣れた手つきで地面を掘り始めた。玲一がブリキでできたビスケットの缶を発見したのは、それからわずか5分後のことだった。
「何だこれ?」
玲一は初めてそれを見るような口調で言った。
「開けてみよう」
僕がそう言うと、玲一は恐る恐る蓋を取った。中から出てきたのは古ぼけた赤い小さな箱だった。
「指輪ケース?」
玲一は独り言のようにつぶやいた。そして宝箱を開けるようにケースを開くと、中にあった二つの小さな指輪を取り出した。
「随分と小さな指輪だな。小学生でも入らないんじゃないか?」
僕がそう言うと、玲一は「あっ」と声を上げた。
「そうか。これは桃の木か。思い出したぞ、ありがとう」玲一は興奮していた。「まさかこんな所に埋めていたなんて。まったく、どうしてこんな大切なことを忘れていたんだろう」
「どういうことなんだ?」
僕が小さく混乱していると、玲一は言った。
「俺たちが10歳のとき、結婚式場のパンフレットになったのは知っているよな」
僕が頷くと、玲一は続けた。
「そのとき式場からプレゼントされた物があったんだけど、この指輪がそれさ。あのときは桃子とこれを婚約指輪にしよう、なんて話し合っていたっけ。でも、それだけじゃあ物足らないという話になって、タイムカプセルにして未来の自分たちにプレゼントしようということになった。それで親にねだって、目印として桃の木を庭に植えてもらったんだ。桃子の名前にちなんでね」
「じゃあ、これは探し物じゃない?」
「ああ。いや違う。これが本当に探していたものだ。結婚指輪より探していたものさ。ありがとう、本当にありがとう」
玲一は少年のような笑顔でそう言った。僕としては何だか腑に落ちなかったが、玲一が喜んでいるからそれでいいか。僕はそう割り切って玲一の家を後にした。
 
それから数日後のことだった。玲一から電話があって、結婚指輪は見つかっていないけど、離婚はなんとか免れた。飲み会は3ヶ月禁止になったけどね。と報告があった。でも、桃子はすごく喜んでくれたよ。ありがとう。本当にありがとう。そんな風に玲一は何度も電話越しで繰り返した。悪い気はしなかった。ただ、あまりに同じことを繰り返すものだから「ちょっと今は取り込み中なんだ。だからまた遊びに行くよ」と電話を切ろうとした。すると玲一は「ちょっと待て」と言って声のトーンを下げた。
「実はあれから、他にもタイムカプセルがあるかもしれないという話になって、桃子と目立つ木の下を掘り返したんだ。すると何が出てきたと思う?」
わからない、と僕が答えると玲一は言った。
「俺たちのタイムカプセルが出てきたんだ。俺たち夫婦とお前たち夫婦、それにゴッドと将大、それと道夫の名前が書かれたタイムカプセルだ」
「道夫って誰?」
僕が訊ねると、玲一は言った。
「覚えてない。でも、〝全員が揃わなければ開けるべからず〟って書いてあるんだ。気にならないか?」
気にならないわけがない。過去を取り戻すチャンスだ。僕はそう思うと興奮して、喉が乾いて仕方なかった。

 
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